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天寧寺 (仙北市) : ミニ英和和英辞書
天寧寺 (仙北市)[てんねいじ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [てん]
 【名詞】 1. heaven 2. sky 
: [やすし, むしろ]
  1. (io) (adv) rather 2. better 3. instead
: [てら]
 【名詞】 1. temple 
: [せんと]
 (n) cent
: [きた, ほく]
 (n) north
: [し]
  1. (n-suf) city 

天寧寺 (仙北市) : ウィキペディア日本語版
天寧寺 (仙北市)[てんねいじ]

天寧寺(てんねいじ)は、秋田県仙北市角館町上新町に所在する曹洞宗の寺院。山号は萬松山、本尊は釈迦如来(釈迦牟尼仏)。
== 歴史 ==

=== 会津天寧寺 ===
現在福島県会津若松市に所在する天寧寺近藤勇の墓でも知られる)は、文安4年(1447年)に蘆名盛信が大瞞行果禅師 南英謙宗のために陸奥国会津黒川東山に開いたといわれる。勧請開山は傑堂能勝であった。かつては会津曹洞宗の僧録司を兼ね、末寺33か寺、僧堂12を数えたとされる。蘆名家中興の英主とされ、会津に大勢力を築いた蘆名盛氏が銭100貫文を寄進した記録があり、最盛期には雲水1,000名を擁する蘆名氏の菩提寺であった。
天正14年(1586年)、蘆名亀王丸の死によって蘆名氏は血統が途絶え、伊達氏佐竹氏の争いとなったが、結局は佐竹義重の次男義広(1575年-1631年)が跡を継いだ。義広は、当初陸奥国白河白河結城氏を継いで結城義広あるいは白河義広と称していたが、天正15年(1587年)に蘆名盛隆の娘と結婚して正式に蘆名家を継ぎ蘆名義広を名乗った。義広は、天正17年(1589年)の摺上原の戦いの敗北により米沢伊達政宗によって会津黒川を追われ、会津天寧寺もこの戦いで一時焼亡している。当時の遺構として残っているのは本堂礎石のみである。
なお、京都の天寧寺は当時の住職祥山曇吉がこの戦いで会津を追われて京都に避難した際に、本尊を安置するために仮に建てた仏堂が会津での再興後も門人に継承されたものである(今日では金森宗和滋野井公麗らの墓所のあることで知られている)。従って会津・角館・京都の3か所に同名の「萬松山天寧寺」が存在することになる。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「天寧寺 (仙北市)」の詳細全文を読む




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